最初の1行が一番難しい
こんにちは。今日はあいにくの雨ですね。
更新してないのにアメブロのランキングはじゃかじゃかあがっています。意味がわからない。
最近百貨店でセールのバイトをしてて、これがまた激務で、起きる→バイト行く→寝るという非常にシンプルな毎日を送っています。美輪明宏と女優(名前わかんない)来ました。
美輪明宏はプリーツプリーズを鬼のように買ってたよ。セールだからってテンションあがることなく不機嫌そう。
東京に来て4年目にして都会の風を感じています。
でもひと段落したからこれからぼりぼり更新しようと思います。
そうそう、先週のダ・カーポを読んでいたらおもしろい特集があってね。
ダ・カーポが愛読誌の女子大生もどうかと思うけど、けっこうおもしろいんだよ。
マガジンハウスのリラックスやクウネルなどオサレ雑誌の中にあって、異彩を放っています。サイズも◎。
就職活動中はあの黒いかばんにこいつをしのばせ、帰りの電車で"da capo"してました。
前置きが非常に長くなりましたが、その特集っていうのが
「文章上達講座」。
文章は書き出しが大事、とあります。
まぁそうですよ。
だってブログ更新できないのも最初の書き出しが思い浮かばないからだもん。レポートぎりぎりになるのも最初何書いていいかわからないからだもん。好きなのに好きって言えないのも最初のひとことが言えないからだもん。
わたしが考える書き出しナンバーワン小説は綿矢りさの『蹴りたい背中』。
今さらかよ。と毒づく人もいるかもしれませんが。わたしもね、文春をブックオフで100円で買って読んだ身なのでえらそうなことは言えませんがね。
「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけられるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。」
この書き出しはダ・カーポにも取り上げられていました。
「やや病的な書き出しから始まり、この先どうなることかと危ぶんだが、以降は常識の範囲内の表現方法。本編でも<負けたな。>を一行見せて、改行するなど随所に小技が光る」
らしいです。
へぇ。
そこまで考えてはなかったけどなんかドキドキしますよこれは。
書き出しについて深く考えたことはなかったけど、書き出しを考えることは
これから起こるすべての物語、トーン、テンションを凝縮させる作業のような気がしてきました。
もちろん読者のこころをつかむことも重要だけど。
そりゃ難しいわ。
物語が最初の一行をつくるのだけど、最初の一行も、そのあとの物語をつくる。だから、悩むのかもしれません。
「あたしはこれでいくよ」っていう意思表示でもありますね。
つまり何が言いたいのかというと
「最初が肝心」。
料理をするときも最初に調味料を混ぜ合わせて、材料なり器具なりを用意しておくとうまいもんが作れる。(ケンタロウが言っていたから間違いない)
人とトモダチになるときも、その人に自分のどういう部分を見せるか決める(もちろん、無意識に)。
新しいバイトをはじめるときはちゃんとみんなに挨拶する。
うん、そゆこと。(ほんとにいいのかな)
ほかにも文体模写のコーナーがあってこれがまた超おもしろくて電車の中で笑っちゃいました。
長くなってしまったのでそれはまた今度。文体模写してみます。
女同士って素晴らしい
ね、ね、ね、自慢していい?
楽しすぎて、幸せすぎて書かずにはいられないのです。
今日は津田塾大学寮生時代からのトモダチ、ユウコちゃんちでワインパーティーをしました。
西友でしこたま買い物して、きゃあきゃあ言いながら料理作って、うまいワインをいっぱい飲んだ。
またしても
「あたしってシアワセ~」
を連発しちゃったよ。
そんなひととき、こんなひととき。
これを幸せと呼ばずして、なんと呼ぶ。てなかんじで。
なんかみんなにキスしてまわってもいいくらい。ってキモいね。
女友達って気を使わずにわいわいできる、というのではない。
こう書くと誤解を招きそうだけど、そこが「ミソ」であり、楽しさであり、心地よさ。
いっこいっこ積み上げていったものを、壊れものを扱うようにみんなが転がして楽しむ、なかなか高度なテクニックが要求される関係、ひとときなのだと思う。
もちろん、仲がよいからこそ、ね。
この人たちを通して、いろんなものを見て、いろんなものを知って、さらには自分を発見しているのだなぁと改めて、感謝します。
OTOME
前はレースとか花柄とか白とかリボンとかパフスリーブとか完全無視で、吐き気をもよおすことすらあったのに今ではそんなものばかりに目がいく。
今日はPAUL&JOEの乙女柄ポーチと、予約していたひらひら乙女ワンピースと、とどめに花柄乙女ハンカチーフを2枚買った。
こうやって書いてみると我ながらキモい。
子供のころからスカートを忌み嫌い、ぬいぐるみには目もくれずミニ四駆に興じていた私を見て、「この子にはナニがついているんじゃなかろうか」と心配していた母親が見たら、さぞかし喜ぶことだろう。
まるで失われた乙女時代を取り戻すかのように乙女グッズをむさぼる私。
これでいいのだ。
エキゾチック中央線物語
国分寺にある、知る人ぞ知るカレー屋に行った。
その店を一言で表現すると、
「中央線を煮詰めたような店」
おお、われながらなかなかやるではないか。
その店にはつたがからまっていて、ちょっと入りづらい。中に入るとゆるーいかんじの女の子が二人、今にもとけそうなくらいゆるゆるに働いている。絶対にサラリーマン稼業ではないと断言できる、常連と思われるいい味だしたおやじがカウンターに座っている。
暗い白熱灯の照明に小さな小さな店内。
不思議な音楽。
そしてカレーの匂い。
これぞ中央線。
最近「中央線特集」をやっている雑誌や、中央線についての本をよく見かける。
なぜこれほどまでに中央線沿線は人の心をつかむのだろう?
あ、つかんでない?ごめん。
たぶん、そのゆるさ加減だと思う。
そんなことお前に言われなくても分かってるという声が聞こえてきそうですが。
間違っても穴の開いた靴下をはいて表参道には行けない。でも吉祥寺には行ける、と思う。
別に素晴らしいサービスがあるわけでもないけど(むしろ、おい、と言いたくなることもある)、媚びた笑顔を振りまかれることもないし、変な格好をしていて冷笑されることもない。
怪しげなおやじも、四畳半に住んでいるバンドマンも、ギャルソンを着たオサレ美容学校生も同じように存在している不思議さ。
どこからともなく聞こえてくるへたうまなフォークソング。
図々しい焼き鳥屋の匂い。
来るもの拒まず、去るもの追わずの心地よさ。
まるで背伸びしてないあちきを受け容れてくれる、不器用で無口だけど優しい、あなたの恋人のような街。それが中央線沿線。
ステキやん。
人生には青山も必要だけど、西荻窪も必要なのです。
「あなたの阿佐ヶ谷になりたい」でもいいかも。
と、おいしいけど辛いカレーを食べながら考えました。
幸福論
最近バイトしかしてないからネタがない。これ書かなきゃ!という衝動も起きない。
ネタを作ろうか。ネタをつくりに行くようになったら小説家は終わりだと誰かが言っていたけど、私は小説家ではないし、更新の頻度からしてもはやブロガーとも呼べないので関係ない。そもそもお肌も曲がり角にきているのでそんな元気もない。
だからあたりまえの日常について書こうと思う。
「あたしはなんて幸せなんだろう」
普通の人が人生で3回言えばいいほう、と言われるこのセリフを、私はひどい時には5分に2回くらい口にすることがある。
ちゃりんこに乗って、土の匂いがする生ぬるい風邪をきって友達と走っているとき。
大学のテラスで一人うどんを食べながら、まぶしい太陽の下できらきら笑うかわいい女の子を目を細めてながめている自分に気づいたとき。
毎週水曜日の午後に約束したわけでもないのに集まる3人で、哲学から下世話なトピックまでよくこんなに話題があるなぁと感じるほど縦横無尽に話しているとき。
どしゃぶりの雨を部屋の中からながめているとき。
コンビニの店員さんがすごくいい人だったとき。
そんなときに私は本当に心からそう思う。
こうやって書いてみると、私がいかにうすらバカであるかということがよく分かる。
でも私がいかに幸せで、恵まれているかということもよくわかる。
「あたしはなんてしあわせなんだろう」
私にしあわせをくれる全ての人へ、ありがとう。
6月の晴れた日の夜に。
アディオス。
たまご丼
今日の朝、冷蔵庫の中に卵とたまねぎしかなかったのでたまご丼を作った。あ、親子丼の肉が入ってないやつね。
作っている途中で私が中学2年のころに「お付き合い」していた「みちくん」のことを突然思い出した。
付き合うといっても、手をつないで学校から帰る、というものだったから付き合っていたと言っていいのかわからないけど。
それに、「好き」というのも今とはちょっと違う気がする。恋に恋する、というかんじだったと思う。
「みちくん」は周囲が1メートルくらいある「ドカン」というズボンを穿いて、今はやりのボレロみたいなタンランを着て、髪は金髪ボウズという典型的な田舎のヤンキーだった。
無免許でバイクに乗って補導されるわ、他の学校の人とケンカするわ、行いのほうも典型的だったわけですが、そんな彼のことを私はすごく冷めた目で見てた気がする。
「なんでそんなことをするんだろう」って。
一回だけ、「みちくん」の家に行ったことがあるんだけど、家は外から見るとすごい大きくてキレイなのにリビングはものすごく荒れててびっくりした覚えがある。見られたくなさそうにさっと隠してた。
話を聞くとお母さんもお父さんも仕事が忙しくて家にあんまりいないらしい。小さいころからずっとそんなかんじなんだよ、って言ってた。
そのとき、この人はさみしいのかな?って思った。
「親が」とか、「家が」という考え方には素直に納得できないけど、そのときはそう思った。
「みちくん」が好きだったのが「たまご丼」。
いつもは背伸びしたような顔してるのに、たまご丼の話をする時はいつも普通の子供の顔に戻って、うれしそうに話す。
「おれ、たまご丼でーれー好きなんよー、しょうゆかける?おれかける。ほんまうまいよなー。」
その端整な顔だちをもう今はほとんど忘れてしまった。
私が転校してからずっと会ってないし、話も聞かないけど、今頃何してるんだろう。
あたしはたまご丼とか親子丼とかそういう類の料理がすごい苦手で、いつも食べられないくらいマズいんだけど、今日作ったたまご丼はなぜかすっごくおいしかった。
おしまい。
今日の失敗
「ブラス!」ていう映画を見た。
あれ、なんか展開早いなぁー、あれ、30分しかたってないのにこんなに泣き所があっていいのか?とか、登場人物の説明ないなーとか、え、この人お父さん?え、この人誰?みたいなクエスチョンマークがたくさんあったにもかかわらず、エンドロールを見ても気づかなかった。やけに展開早いなーって。
そしたらLDを裏面にしてた。
そしてぼろぼろ泣いてた。最後の40分だけ見て感動してた私。バカみたい。
あれ?40分だけ見て90%のことは理解できたし、背景とかも分かったし、おまけに感動できたっていうことは、これからは映画は後半だけ見ればいいってことなのか。時間短縮でいっぱい見れる。
・・・そんなわけない。そんな失礼な。傲慢な。
あ、映画じたいはかなり感動。
音楽がずるいくらいいい。
むこうとこっち、○と×
GW中に村上春樹の「アンダーグラウンド」を読みました。
1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者にインタビューを行い、それを本にしたものです。
手にとったそのとき、はっきりした理由はわからなかったけど、とにかく「今、読まなければいけない」という気持ちになったんです。
でも今は多分こういうことなんじゃないか、というのはあります。
誤解を恐れずに言います。
その理由は「地下鉄サリン事件」と「尼崎の脱線事故」がダブって見えたから。
もちろん、このふたつの事件がぜんぜん違う種類のものだということは私にも分かります。
かたや犯罪、かたや人災といえども事故。
それはもう全然違う。
でも、共通している点もいくつかある。
多くの人が一度に命を落としたこと。
ある日突然、絶対に安全だと思われていた公共の場所で起こったこと。
命を落とさないまでも、体や心に大きな傷を負った人が大勢いること。
被害に遭われた方々のやり場のない怒り。もちろん、ある程度の対象はあるにしても。
これらについては、私はそのつらさやむごさを想像することはできても、正確に100%感じることはできない。
ただただ、亡くなった方のご冥福をお祈りし、被害者の方が一日も早く日常の生活を取り戻されることを願うことしかできない。
でも私が実際に感じとることができることが一つだけあるとすれば、「事件に対する社会、メディアの反応」です。
私は尼崎の脱線事故に関するニュースやワイドショーを何日か続けて見ていくうちに、妙な違和感や「なんか嫌だな」という気持ちを持つようになりました。
「なんか嫌だな」と私が感じたのはなぜなのか。
村上春樹は「アンダーグラウンド」の「目じるしのない悪夢」の中で、
「・・・この事件を報道するにあたってのマスメディアの基本姿勢は、<被害者=無垢なる者=正義>という「こちら側」と、<加害者=汚されたもの=悪>という「あちら側」を対立させることだった。そして「こちら側」のポジションを前提条件として固定させ、それをいわば梃子の支点として使い、「あちら側」の行為と論理の歪みを徹底的に細分化し分析していくことだった。」
と書いています。
もちろんこれは地下鉄サリン事件についていったことです。
でも私はこれが今回の尼崎の脱線事故の報道についてもいえるのではないか、という気がしてならないのです。
この場合の加害者とされるものは言うまでもなくJR西日本です。
事故の後に宴会をしていた。
利益に目を奪われ、安全対策をおざなりにした。
事故にあった電車に乗っていた乗客に対して、その日の運賃を請求した。
無責任な会社の体質。
人間味のない社長。
JR西日本に関するありとあらゆることを取り上げ、とんでもないことだと批判し、大きな×をつける。これが悪なのだと。こいつらは悪者なんだと。
もちろん、事故が起きた原因を究明することはだいじなことだと思う。これらの批判がどうでもいいことだというつもりはありません。
ただ、そんなに単純に○×をつけてしまっていいのですか?と思うんです。
こちら側とあちら側はそんなにはっきり区別できるものなのかと疑問を感じるのです。
「ほんとうに、こう考えてしまっていいのだろうか?」
おそらくそれが私が感じた違和感の原因だと思います。
そして彼はこうも言っています。
「・・・つまりオウム真理教という「ものごと」を純粋な他人事として、理解しがたい奇形なものとして対岸から双眼鏡で眺めるだけでは、私たちはどこにも行けないんじゃないかということだ。たとえそう考えることがいささかの不快を伴うとしても、自分というシステム内に、あるいは自分を含むシステム内に、ある程度含まれているかもしれないものとして、その「ものごと」を検証していくことが大事なのではあるまいか。私たちの「こちら側」のエリアに埋められているその鍵を見つけないことには、すべては限りなく「対岸」化し、そこにあるはずの意味は肉眼では見えないところまでミクロ化していくのではあるまいか?」
もしそうだとしたら。
JR西日本のような会社を生み出したのは、実は「わたしたち」なのではないか。と考えてみる。
JR西日本という会社の体質は「わたしたち」の間にある歪みがあらわれたものだと考えることはできないか。
10分電車が遅れてイライラしたことはないか。と思い出してみる。
もっとくだって、自分がJR西日本の社員だったら上司に向かって宴会を取りやめよう、と言えたか。と想像する。
そういうことを少しでも考えてなければいけないんだな、と思ったわけです。
へこむへこむそしてへこむ
今日朝から超へこみました。
本当にへこむことって自分が恥ずかしい人間だと思った瞬間よね。
人を嫌な気持ちにさせてしまったとき。
普通の人が当たり前にしていることを自分が知らないことを知ったとき。
なぜか。
全責任が自分にあるから。
何のせいにも、誰のせいにもできない。
自分の根本部分を疑ってしまうことほどつらいことはないわ。
それ以外はたいしたことない。
ふたをせずにドレッシングをふって部屋中にぶちまけたりとか、
落ちたとかふられたとかなくしたとかはレベル3くらい。
だって別にはずかしくないもん。
でも寝たら忘れる。おやすみなさい。
人生2こめのブログをはじめるにあたって
はじめに
*「あなたの酸素ボンベになりたい」というふざけた名前について*
私は今年の1月くらいから、「自分とはなんぞや」ということを激しく考えた時期、考えざるをえない状況になりました。それはだいたい3ヶ月という短い期間でしたが、この偏差値50くらいの微妙なアタマで一生懸命考えたんです。
今まで自分がしてきたことに対して。
喜んだこと。後悔したこと。悲しかったこと。人を傷つけたこと。夢中になったこと。
そしてこれから自分がどんな人間になりたいかについて。
お金ほしい。きれいになりたい。幸せになりたい。幸せにしたい。ばりばり働きたい。もうちょっとやせたい、とかまぁくだらないことからバカみたいに高尚なことまで。
そして最終的にいきついたのは、こんな「理想の私」でした。ちょっと想像してみてください。
11月くらい。ちょっと寒いです。冬の足音がしています。
あなたは仕事でいろいろ悩んでいて、家庭もあまりうまくいっていない、もうなにもかも投げ出したい。でもそんな勇気もない。
そんなとき、たまたま通りかかったおでんの屋台でマスターに愚痴をこぼしていました。だって、もう息を吐き出すにも勇気がいるくらいほんとにつらいんですから、しょうがないです。
そんなとき「ちょっと、隣空いてるかね」と言ってあなたの答えも待たずに50代後半のよれっとしたスーツを着たオヤジが座ってきました。もうよれよれなんです、どうしようもないくらいに。
でもあなたはそのオヤジのことを無視して、愚痴り続けました。
オヤジは、それを聞くともなしにちびちび飲んでいます。ちょっと幸せそうです。
1時間くらいたったでしょうか。そのオヤジは「まぁ、そういうこともあるさね。」とぽつりと言いました。
普通なら怒鳴りたくなるところです。「お前に何がわかるか!」ってね。でもなぜかあなたはちょっとだけ心が軽くなった気がしたんです。「まぁ、こういうこともあるか」って思っちゃったんです。心ならずも。
それがほんの一瞬だったとしてもそう思うことができたことは事実です。
そのオヤジが発した言葉にはその言葉以上の「重み」があった。「ああ、この人にもいろんなつらいことがあったのかもしれない」って思ったから、あなたはちょっとだけ息をつくことができた。
・・・長くなりましたが、私はその「オヤジ」のような存在になりたいと思ったんです。
まぎれもなく、そのオヤジはあなたの「酸素ボンベ」でした。それがたったの1分だったとしてもです。
ただ、そのオヤジの「言葉」をつくりだしたのは、彼の何十年にもわたる経験です。その経験から作り出された声のトーン、風貌、目つき、しわ、体臭、その他さまざまなものが絶妙にからみあって作り出したんです。
だから、弱冠21歳の私がどうがんばったってそんな言葉を発することができるわけがないんです。そんな存在になれるわけがないんです。
でもそれに向かってがんばろうと思った。せめて誰かの背中をさすってげっぷを出してあげられるくらいの人間にはなりたいと思った。
このブログはその理想像に近づくためのささやかな試みです。だから、この名前です。
ちなみに「酸素ボンベ」という言葉は『東京ファイティングキッズ』という本の帯からその意味ともども拝借しました。
*内容について*
当たり前だけど、「本当に思ったこと」しか書きません。
しかも、私がさわって、だきしめて、さらには口に入れて咀嚼して、消化して脳みそにとろっと入れることができたことだけです。
だから、あんまり更新できないかもしれません。途中で力尽きるかもしれません。
*読んでくれる人へ*
こんな壮大(?)なことを長々と書いておいて、大した内容ではないことが予想されます。あるいはここまで読んでそれを察知した人も少なからずいるはずです。
だからさっさと忘れてくださって結構です。
ただたまに思い出してくれるといいなぁというだけのことです。