書けない理由 | あなたの酸素ボンベになりたい

書けない理由

2007年9月に、ある素敵な方からこのブログあてにメッセージが届いていたことを、昨日知りました。


今、2009年なの。


一年半も、いや、それ以上もほったらかしにしてたのかー、とわれながら情けなくなりました。


私がくだらない学生のころに、くだらないブログを書いており、しかし大変ありがたいことに、ささやかな数の方々に温かなご反応をいただいていたことを忘れていたというわけではまったくありません。


自分でも理由はよくわからないけど、書いてみては消し、ということを何度かやっていたはず。

そんなことを何度かしているうちに、もう誰も覚えていないであろうブログとはいえ、人が読む可能性があるものを書くというのは結構エネルギーのいるものなんだということがわかりました。


自分の書いたものに対する反対意見や批判、批難、バカにされること、そんなけっこうつらいものを書いた自分が全部引き受けなきゃいけない。これはどう考えてもつらいです。


しかも、実際にコメントがあるとか、面と向かって言われるとか、反応があればもちろんそうなんだけど、実際に自分に伝わる反応のあるなしには直接関係ない。


書く本人が、同時に不特定多数の読者になる。自分が仮想の読者になって批判し、バカにするから。


「もうちょっと年上の人にとってはこう批判されるだろうなあ」とか、「頭いい人にはこんなこと書いたらバカにされるだろうなあ」とか、「それはいくらなんでも言い過ぎなんじゃないのぉ」とか。

自分で自分に突っ込みながら書いていくわけですよね。


そうやって、自分の中でいろんな人と意見をかわしながら、少し表現を変えてみたり、わかりやすくしてみたり、言葉を加えてみたりするわけですよね。


でもそういう努力にも限界がある。だって私は25歳の会社員(休職中だけど)でしかなく、頭よくない人でしかなく、努力はするけど、それ以外のものにはどうがんばったってなれない。

自分が書いたものは結局自分以上にはなれない。それは当たり前のことで、仕方のないことです。残念ながら。


だから、それを受け入れられないと何も書けなくなっちゃいますよね。


・・・と、ここまで書きながらわかってきたけど、私がブログを書きたくても書けなかったのにはそういう理由だとなんとなくわかってきました。



ということでこのブログがどうなるのか私にもまったくわかりませんが、私は元気です。