耳が痛い
コーヒーをがぶがぶ飲みながらワードに向かっています。
インスタントコーヒーを飲むと受験生の頃を思い出します。
「巨人の星」をビデオ屋で借りてきては見ていた時代。
そんなんで受験もなんとかなったんだから、卒論もなんとかなるかもしれないと考えています。
なんとかなるとしか思えない。プラス思考ばんざい。
さて。
最近友人にすすめられて読んだ本、辰濃和男『文章の書き方』の中にこんな引用がありました。
私は文章に関して、本田勝一の『日本語の作文技術』をあがめていましたが、この本も追加されました。
気づけばどっちも朝日の元記者ですね・・・。
私は何とかしてことばの、また文章の、センチメンタリズムから逃れたい。
何のどこをセンチメンタリズムと呼ぶかについて議論があるかも知れぬが、それはここでは触れぬことにする。
ともかく私は、人のものにしろ自分のものにしろ、文章のセンチメンタルなのには閉口する。
センチメンタリズムというのは、つきつめていくとどこかにウソがあるのではないかとも思う。
センチメンタリズムとそれに伴う雄弁、これを私は自分に警戒したい。
中野重治『日本語実用の面』より引用
ぞっとする。
一番恐れていることを過少過多なく言われてしまった気がする。
読む人を感動させるのはいいけど、文章が感動してはいけない。
感情的な言葉を多用して、文章そのものを感情的にするのは最も簡単な逃げですが、同時に文章をつまらなくする一番大きな理由でもあります。
「ウソ」というのは、「感情的な言葉」というのはつまり使い古されて、手垢がついて、柔軟性を失ったことばであり、それがものごとを正確にあらわすということはないという意味かな。
それとも、「センチメンタル」は欺瞞や驕りの表れ、つまり誇張されたり捻じ曲げられたもの→「ウソ」という意味かな。
そういえば、本田勝一も同じような意味で「文章が笑う」という言葉を使っていました。
わかっちゃいるけど難しいんですよね・・・。