11月25日
今日は、女友達2人とプーシキン美術館展に行ってきました。
上野公園はいろとりどりで、秋でした。パンダ焼きを食べました。
マティスやピカソ、ルノワール、セザンヌ・・・。贅沢すぎるよ。
何かを伝えたいと思うその気持ちが、何十年も前のことなのにやっぱり伝わってくる。
マルケの描いたパリのその太陽は本当に輝いているし、モネが感じた風は本当にそよいでいるし、ルノワールが見た光はたしかにあたたかかった。
何十年も前にあなたが感じていた喜びを、あなたの絵を見たわたしたちは共有したよ。
そしてあなたたちも、私たちに感じてほしかったんだと思う。
そして、私もつたないながら、自分が感じた喜怒哀楽を、言葉にして伝えたいと思う。
それは近くにいる誰かであったり、まだ会ったことのない人だったり。
それは、自分の偏見と自分だけの感性が満載だけれど。
私がそれを伝えたいと思うのは、私もそういうものに魅力を感じるから。
大げさな言い方をすれば、それこそが世界をつくっているのではないかと思っている。
例えば、秋の夕暮れの空を眺める。
ある人は、涙が出るほど美しいと思うし、ある人はこれからはじまる寒くて暗い夜を考えて憂鬱になるかもしれない。
どれが正しいというのではなく、全部本当のこと。
その人がこれまで生きてきて、体験し、考えたことの結晶だから。
もっともっと、偏見と主観に満ちた世界になっちゃえばいいと思う。
もちろん、それが偏見と主観に満ちたものであるということをわかったうえで、頷いて、反論してくれる人たちがいることが大前提だけど。
わかって欲しければ、相手のこともわかってあげようと努力しなきゃいけない。当たり前だけど、すごく難しい。
伝えたいことがあるから、人は優しくなれるのかもしれんね。